風景印探偵事務所~続風景印の風来坊

風景印や芸能などの記事を書いているフリーライター・古沢保のブログです。

2009年4月7日<24>東大和新堀郵便局・野火止用水工夫像

画像画像 13:00、眼鏡の男性局員さんは風景印を押し終わると「黒活も?」と、分かっていらっしゃる。図案の像が野火止用水のどこにあるのか聞くと、「その通り(特に名前のない新堀と向原の境界線となる南北の通り)沿いにあるんだけど、小さい像だから見落としちゃうかも」と。  それで用心して行くと、なるほど野火止用水に突き当たって東側の道端に建っていました。図案では分からないけど片肌を脱いで掘削に精を出していたようです。野火止用水というのは<22>で見た玉川上水の分水で、川越城主の松平伊豆守信綱によって玉川上水の翌年の1655(承応4)年に作られました。1973(昭和48)年には流れが途絶えたそうですが、東京と歴史環境保全地域に指定され、84(昭和59)年には清流が復活しました。  傍にあった説明板によると工夫の先頭に立ったのは安松金右衛門という武士で、約24kmを40日間で掘削しましたが、土地が悪く用水完成後も水は大地に吸い込まれてしまい、上役たちは金右衛門を嘘つき呼ばわりしたそうです。でも信綱が信じて待っていると、3年目の台風の時に堀に水が流れ込み、その後は周囲の田畑を潤したそうです。よかったね、金右衛門。