風景印探偵事務所~続風景印の風来坊

風景印や芸能などの記事を書いているフリーライター・古沢保のブログです。

2009年5月1日<46>青梅上町郵便局・青梅大祭と金剛寺将門の梅

画像画像  ゴールデンウィークの真ん中、心がけもよく開局前に青梅に到着。まずは金剛寺へ。この表門は江戸時代初期の建築といわれ、東京都有形文化財に指定されています。そして同寺の梅の木は平将門画像戦勝祈願で地面に突き立てた梅の枝が始まりと言われています。願いが叶わぬならば、枯れてしまえと願をかけたところ、根付いた木になった実は、いつまでも熟すことなく青いままだったという伝説があります。これが「青梅」という地名の由来だったのですね。私は無知だったので、庭を整備していた若いお坊さんに実のなる時期はいつ頃ですかと声をかけると「最近よく落 画像ちてますよ。今もなってるんじゃないかな」とのこと。慌てて枝を見上げると、ほんとだ青々としたきれいな実があちこちに。よく考えれば2~3月に開花した後に実がなるのだから今くらいに結実するんですよね。そうか、これが青梅の梅かと感慨が。  9:15、押印してくれたのは男性局長さん。明後日が青梅大祭なので局長さんも参加するんですかと 画像聞くと、「実は山車を引くことになっているんです。私も去年この局に来たばかりで、お祭りは見たことはあるけど初参加なんです」。頑張ってくださいね。  そして先に5月3日(日)の大祭の報告をしてしまいます。青梅は宿場町として栄え、江戸時代後期に祭りが始まりました。当時は3月末でしたが、明治の改暦で1か月後ろにずれたとか。青梅祭りの名物は山車の上に載った見事な山車人形。天下祭(江戸城に入城し将軍の上覧を受けた祭礼)の山車を買い付けるほど青梅が裕福だったということです。けれど風景印の神山車には人形は描かれていません。というのも、電線が敷設されて以降は人形は山車から下ろされ、大切に保管されているからです。これらの立派な人形もこの日だけは各町会の集会所などで見ることができます。写真は本町区の人形で神功皇后、皇子、武内宿弥の3体です。うーん、きらびやか。 画像 これらの人形が山車に載らなくなり、華やかさが減ってしまったものの、今でも12基の山車が青梅街道を練り歩く様は壮観です。何がいいって、街道沿いには今も由緒ある木造建築が残り、その奥には奥多摩の山々が見渡せるため、景色が23区内の祭りとは全然違うんです。飛騨高山とか地方の祭りに来たような、或いは江戸時代はこうだったのかなと思いを馳せさせてくれ 画像ます。  そして祭りのクライマックスは夕方に青梅市民会館に6町の山車が集まってくる瞬間。各町が激しくお囃子を競演し興奮のうちに幕を閉じます。いやあ、見に行ってよかった。  *単行本『東京「風景印」散歩365日』もご覧下さい!